はじめよう。美しいあの場所へ、迷子にならぬ様、ワタシへの道標となる様に。

瞳に映る生命の息吹、耳から観える生命の動き、感じる景色。繋がる精神の緒。

脈脈と繋がるこれまでこれからのど真ん中。感じるままに三輪福綴りに記して行こう。


2018年11月20日火曜日

11月の神楽!神楽!神楽!?

11月1日はここ数年参加させてもらっている、群馬県前橋にて八咫烏神楽から始まった。
友人の手作りいっぱいの神楽。
獅子舞をしているアダムは外国から移住して日本に長く住みつつ、
宮大工のプロにもなっていて、獅子舞の動きは見事!
建築への眼差しも、佇まいは奥ゆかしき日本人の様で、
日本人である私もハッとさせられることが多い。
年々、賑わいが脹らんで来ている様に映るその神楽も2回の公演を無事に終えては、
急ぎ足で、奈良は天河神社の秋季大祭へ向かった。
偶然か必然か、この八咫烏神楽を初年度から起こしている友人も急遽、
大祭へ出演が決まったそうで、車に同席させていただき深夜に天河村へ到着した。
ほぼ休みなくノンストップだったのにもかかわらず、
かなりの集中力で車を走らせてくれた友人には深く感謝と信頼が更に増す様な
貴重な連日となった。
到着したら、既にお宿は消灯となっていて、静かに入室した。
もうこの夜明けにはリハもなく舞台の上にいるんだと、程よい緊張感の中、朝を待った。
今から30年前に音楽家岡野弘幹さんに舞い降りて来た唄がある。
その唄をまこもで作られた船型を天の鳥船とし、
タマシズク合唱団のメンバーが唄うこと、
そしてまたこの神事では
3000年ぶりと気の遠くなる様な年月を経て、熊野の御神火と天河の火が合わさると言った
奇跡的な瞬間の時となった。
その火は頭でそれらの情報を知らなくともきっと、
「何か」を感じざるを得ない様な
そんな火に感じられた。
いよいよ出番が巡って来た。
いつもそうだけれど、舞台上は不思議と運ばれる。
運んでもらえると言うか、頭ではないところで瞬間瞬間の未来を知っている様な
不思議でとても安心感の中、舞える。
そして、終わりも終わりとしてやってくる。
もちろん、袖に居る間は、緊張もして居る。
一歩踏み出ると、それらは一瞬にして払拭されてしまう。
ただ在るだけになれる。
無事に大祭を終えた翌日は、東京へ向かった。
初めてのサントリーホールでの舞台。
衣装デザイナーさとううさぶろうさんの衣装を纏って、
「和輪把」と言う舞台タイトルでの、豪華キャストと共に
心合わせ、響合わせ。
スタッフの方々の丁寧なやり取り、メンバーとの信頼のもとでの本番、
ご来席いただいたお客様、見えない存在達からのメッセージ。
即興と言うシーンがほとんどだった。
どこか懐かしい様な、全く経験したことのない様な世界が行ったり来たり。
また、今回自身で気がついた事で大きかったのは、舞い手として立って居る時に
「音霊」と言うものに含まれて居るエネルギーの純度によって
動きが全く違ってくると言う体感。
また出逢いたい一瞬ばかりだった。

舞台連日を終えて、翌日は奥能登で準備に取り掛かったのは
暮らしの実験でもある「蓄熱式ストーブペチカ」の制作ワークショップの受け入れ。
蓋を開けると、全国は北と南、西に東とたくさんの人々が来訪となり、
約10日間の賑やかな日々を共に学び暮らす事となった。

昨日まで踊っていた私は何処へやら。

衣装デザイナーのうさぶろうさんが言われる様に、衣服から変える事で気づいていく
何か。
それは、食だったり住だったりアプローチは様々。
2年半前の都心から初めての田舎への移動から、ライフスタイルで大きく変わった部分もあれば、変わらぬ部分もある。
四季の巡りがアレヨアレヨという様に移り変わっていく。
あと何回この季節に出会えるかわからないけれど、毎年美しいそれらにまた出逢いたいと
心から思える。

今年もあと1ヶ月と少し。
舞台は四国高松で締めくくる2018となりました。

ありがとうの気持ちいっぱいに舞いたいと思います。


感謝